父から「帰るよ」コールがあったら玄関の鍵を開けておくのがしきたり

うちの父さんは、家に帰ってくる前に必ず、スマホの通信アプリをつかって「帰るコール」を送信してきます。この知らせがくると、わたしたち家族にはやらなければならないことがあります。それは、帰ってくるお父さんのために、玄関のカギを開けておくことなのです。もしもお父さんが帰ってきたときにカギが開いていないと、お父さんの機嫌はすこぶる悪くなります。ですからわたしたち三姉妹は、お父さんからの「帰るコール」にとても敏感に反応するのです。

子どものころは家のしきたりが普通だと思い込むものです。だから友達の家に遊びに行ったとき、その家のお母さんが「お父さんが帰ってくるってよ」なんて友達に声をかけたりすると、思わず「玄関の鍵開けにいかなくていいの?」なんて聞いてしまってビックリされたりしました。そんなしきたりは、どうやらうちだけのものなんだと気が付いたのは高校生になったころでした。それでも、そのしきたりがウチだけの特殊なものだとしても、染みついた習慣というものは恐ろしいもので、お父さんから「帰るコール」がくると、わたしたちは玄関のカギを開けに行くのでした。

わたしたち三姉妹がみんな遊びに行っていて、お父さんから「帰るコール」が来ても誰も家にいないなんてときもありました。そんなときは家から一番近い場所にいる誰かが急いで帰宅して、カギを開けて待っているのでした。そしてそれはたいていの場合、一番下の妹であるわたしの役目でした。

一番上の姉がお嫁に行って、その次の姉もお嫁に行って、ついにこの春わたしもお嫁にいくことになりました。もう誰も、お父さんの「帰るコール」で家のカギを開けることはできなくなります。お父さんは別に寂しくないし、困ることもないと言います。だけどわたしは知っています。疲れて帰ってきたとき、自分の家の玄関のカギを自分で開けなければならないときのお父さんの気持ちを。誰も迎えてくれない家の寂しさを。